高尾山の歴史

高尾山歴史年表

時代

出来事

奈良

744

聖武天皇の勅命を受けた行基が高尾山薬王院を開山

行基(668~749)奈良時代の薬師寺の僧侶です。行基の活躍した時代には聖武天皇が、仏教の精神で国を護り、世の中の平安を保とうとしていました。 行基は単に仏教の教えを説くだけでなく、農民のための用水施設や交通施設をつくるなどの社会事業も展開しました。行基は近畿地方を中心に庶民に仏教を普及しましたが、各地の寺院に伝承が残されています。

鎌倉

1375

京都山城国醍醐山の高僧、沙門俊源が入山し、荒廃していた寺院を復興する。

沙門俊源像

沙門俊源沙門俊源は琵琶滝で苦修精行し、不動明王の化身とされる飯綱大権現の霊感を感得したと伝えられています。これ以来、高尾山は修験道※の場として知られるようになります。

※修験道 日本古来の山岳修行に山岳仏教が結びついて発展を遂げた信仰です。

戦国

1560

北条氏康が薬師堂の修復料として土地を寄進

1578

北条氏照竹林伐採禁止の制札出す

江戸

1648

御朱印境内七五万石を受領する

江川杉 江戸幕府と高尾山北条氏は豊臣秀吉に破れ、関東は徳川家康によって治められることになります。家康入国後も、代官頭の大久保長安により、高尾山の保護政策が踏襲されました。

江戸時代に入ると、幕府は高尾山の山林の保護や植林を積極的に行い、財政基盤の充実を図っています。

(写真:幕末に植林された江川杉)

明治

1889

高尾山全域が帝室御料林となる

昭和

1927

ケーブルカー営業開始

1967

明治の森高尾国定公園に指定

小仏城山から高尾山を望む 自然公園となった高尾山。第二次世界大戦中は海軍の船材として、戦後の物資が不足していた時代にも建築用の材木として多くの木が切り出されましたが、昭和25(1950)年に東京都立高尾陣場自然公園、昭和42年には国定公園の指定を受け、高尾山の森林は再び保護を受けるようになりました。

1968

高尾ビジターセンター開設

参考文献
相原悦夫 「高尾山薬王院」 百水社 2000年
樋口豊治 「市民のための八王子の歴史」 有峰書店新社 1998年
坂本正仁 塩入亮乗 鈴木良明 根本誠二 編 「多摩のお寺めぐり」 雄山閣出版 1995年
「高尾山ガイドブック」 高尾山登山電鉄株式会社 1995年

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